いい加減煙草やめないと金貯まらない

ウーロンハイあけちゃったこんな時間から、もうすぐお盆が始まるけど飲食店従事者にはそんなもの関係なく怒涛の連勤が始まることほかない、コロナなのになんでこんな客くるんだ?ねえ、おかしいよ。ピークタイムにオペレーションを行っていると一時間に100人を超える客を相手にすることなんてざらにあって、そうなってくると一日に接触する人間はゆうに500人を超えていたりして、密集密閉密室を満たしたファミレスで働く行為と、徹底的に配慮がされたクラブハウスに行くのと、どちらが危険かだなんて火を見るよりも明らかなのに、後者がなぜか悪者扱いされてしまう。こんな時世にファミレスに飯を食いに来る家族連れなんて、かけられた篩に残ったカスみたいなやつらしかいないわけなんですけど、なぜか時給は変わらないまま。ボランティアじゃねぇんだぞ。「じゃあ来るな」の一言で済むようなクレームが山ほど来る。時折全部捨ててメニュー板で客どもの頭を全力で叩き割って回りたくなる衝動に駆られる。私はなんのためにこんなアルバイトをしているんだろう、いや、勤務している人が全員良い人で大好きだからなんですけど。土地のおかげである程度高く見積もられた、でも1000円以下の時給で、こんなプライドも感染リスクも投げ打って、やりたいこともできないままで、対等に生きている人はずのほかの人間どもにへりくだって、本当に、本当に何やっているんだろうか。やめたいやめたいと言いながら12月で6年目に突入する。つくづく私は人が良いなと思う。飲食店で働いて性格の悪さに磨きがかかった。コミカルに昇華できるギリギリの範囲に漂う私の悪意が日に日に増大する。

 

夢がだんだん現実の私に寄り添うようになってきた。椎名林檎にこういう歌詞の曲ありましたよね。そもそもコロナに入ってからバイト以外で外に出ることなんてそうなくて、体力を持て余しては眠れずに朝まで起きて昼に寝て、たまに地元に住んでいる友達とご飯食べたりして、それだけが日々の救いのような毎日を送っていると、本当に質の良い睡眠が全くといっていいほど取れなくなる。寝ると毎回のように夢を見るせいで夢の記録をつけることすら諦めた。夢の中の私は現実世界の平行時間上に生きていて、今を生きている私の価値観や情動で全てを為していることが殆どだ。分岐点でセーブしたときのギャルゲーみたいな夢。あの時こうしてればこうなったのかもしれない、こうなったときこうすればこうなるのかもしれない、みたいな答え合わせを夢の中でしては、目覚めて無性に悔しくなり、また1時間程度の二度寝を繰り返している。ぐっすり眠りたい。入眠って睡眠薬以外にすんなりこなせる方法ないのか?私はあいにく健常者なので睡眠薬とかそういうたぐいのものは本当にわかりません。

 

大好きな友達をPCの壁紙にしたらかなり調子よくなった。最初は面白でやってたけどレポートやるためにPCを起動すると友達がそこに鎮座している事実が本当にうれしくてかなり頑張るぞという気持ちになれる。うれしいことですね。友達のことが好きすぎて、その友達に「私と過ごした日々をすべて忘れて、社会に有益な日々を送りながら、世間が決めた幸せを幸せと思って生きている」という演技をされて本当に号泣した。これ書きながらまた悲しくなってきた。でも始まりがあるなら終わりがあるってそうだから、それが死かもしれないし、その関係が有限だったからかもしれないし、それは終わってみないとわからないけど、終わるなら私から終わらせたい。自殺か花火をしたい。自殺か花火をしましょう、一緒に。

 

死ぬ死ぬって言ってるうちは死なないんだろうな。