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お風呂上りに見た自分の指先の皮膚がとても汚くて、でもそれはただの私の爪と指を噛むくせで出来た凹凸のそれ以上でもそれ以下でもなく、そこに詩的な叙情が生まれていたら、もうすこしかっこいいメンヘラ枠の女として生きれていたのかな?と思った。自分のことを「女」としょっぱなから形容しておいてなんだが、女という性別に振り回されることがかなり多い。というか、小さいときは傷つくことに鈍感でいたせいか、性別で差別されたり、優遇されたりといったことに疎かっただけで、女が足かせになっていることを意識的に捉えだすようになったのがただ最近だっただけの話なのだが。「女」だから「男」と対等に友達でいられなかったり、「女」だから見た目が地味なだけで篩にかけられて落とされたり。このような話をするときりがないが、20歳、もうはっきりと大人と言われる年齢にもなると、引きこもりで出不精なオタクにも平等に女という性別や性別ナイズド・ルッキズム(シンクロナイズド・スイミングみたいですね)に支配された社会的な尺度という苦しさは降りそそぐものなのだなと妙に納得してしまう。


直接的な関係はないが、或る年上の人間に「お前、中学から◯◯(特定の行動)出来て偉いって言われたいんやろ!!!」と言われたことがある。言われたときは唖然とした。というか、状況、年の差、意地の悪さ、いろいろな気持ちが混ざり合って困惑した、本質を突いたつもりの卑屈野郎がいきなり現れちゃったよ、と。ただ、この言葉、考えれば考えるほど、自分に向けられるべき言葉だったんだなと思えてきた。言われることが運命だったのかと思うほどに。



そもそも私も、本質を突いたつもりでいる卑屈野郎である。そして、そのフォーマットに則った言葉をよく考える。「お前、小さいころから〇〇を聞いてたぁ?洒落てますなぁ(笑)」だの「本棚の前で自撮りすんなや、素直に顔より本見せろ(笑)」だの、パッと考えるだけで同じような罵倒がスッと思い浮かぶ。本当に誰に対してということがないのが一番怖く、仮想敵に対する攻撃にしか過ぎない。これが私なりのハッとしてグッなら最悪だと思う。あの事件の話を信頼できる友人に話したら、そこのパートを話し終えたあと、真っ先に「えっそれ、まえみみがめっちゃいいそうやのに!その人がまえみみやっても、目前では言わんにしろ、Twitterでは言うてたで」と言われた。

信頼できる友人がそういうなら、もうじゃあ、本当にそうだってことだ。今まで心のなかでやってきた攻撃のカウンターが時を経て返ってきた。しかも、私自身、話をしているときに、間接的な自慢がしたいなんてことは1ミリたりとも考えておらず、本質を突いた気になっている卑劣野郎こと私が心のなかでやってきた攻撃は、場合によってはただただ虚に武器を一心不乱振りまくることでしかなかったのだ。ああ、恥ずかしい。ああああ、申し訳ない。すみませんでした。屈折して拗らせてしまっているにも関わらず世界が狭いから、自分だったらこういう意図で行います、が普遍化した基準として存在すると勘違いしていた。「それをそんな回りくどく表現しなくても(笑)」という冷笑の槍を他人に向けていたつもりだったが、そんな人間の取る槍はすぐ逆くの字に形を変え、私の脳天に矛先を向ける武器となる。それゆえに、「これをしてしまうと、真意はこれなのに、人に違った捉え方をされ、ヒンシュクを買うんじゃないか」と言いたいこともやりたいことも出来なくなってしまった。そうなるともはや、持ち前の卑屈さと低すぎてマントルにまで達している自己肯定感によって、妬み・ひがみ・嫉み・恨み・劣等感の鈍色の五つ星が、私の空にぎらぎらと輝き続けるはめになる。私がこんな観念的であるのは、私が私の中に育てた“主観的な客観”に虐められ、ゆがんでいってしまっていただけだったのか。ヒィ~^^^^^^^^~~~~~^~~~~^~~~~^^^ン


ぴえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん


学んでしまった!!!!!悔しい。あんなひどいことを言われたのに、学びにつなげてしまった。自分を生かすための道の舗装材料になっちゃったよ。まいった~~~~~~(涙)

それは私が賢いからであり、これはその賢さを見せびらかすためのブログです♫

(私の中に根付いた“主観的な客観”を黙らすためには開き直りが重要!との答えからこのオチをつけました、実際には賢くないかもしれませんが、リハビリを頑張っています、見逃していただけると幸いです)


PS.別の友人にこれを話したら、「これを貴方が嫌いな人が書いてたら、貴方はこれすらも『自己分析をユーモアに交えて話せてすごいでちゅね~(笑)』って馬鹿にすると思うよ」と言われました、正解やめて!!!!!!!(涙)