。。(〃_ _)σ∥

古着屋で服買うのもうやめようとすら思うわ、なんかもうポリシーとかプライドとか本当にわからなくなった。何を信じたらいいでしょうか。私の好きは私によって構成されていないことが今さらわかった。わたしは影響されやすい割に自我がきついと何故か思い込んでいた。恋人の影響で変わりゆくあまり見知らぬ人をSNSでちらちら見ながらこんな人間にはなりたくないしこの私がなるはすがないと謎のプライドを以て考えたものだったがそのあまり見知らぬ人に1番近い場所にいるくせに気づいていない私がバカだった。今さら自分が本当になりたいものは何かと自分に問いただしたら本当の一般人という答えが出た、シスヘテロ、黒髪かアッシュのライトカラー、INGで服を買って、古川優香とまあたそが好きで、iPhoneユーザー、彼氏の影響で好きになったものがあって、友達の成功をわざわざ高そうな飲食店を予約してまで祝って、そういう、そういうのになりたかった、こういうのって絶対出自の環境が影響してくるんですけどそうなってくると本当にもう一回やり直すしかなくて全てを、まず21歳になってまでこういうこと言ってる時点でもう詰んでるしこういう人格のまま多分なあなあで生きていくんでしょうね、他人事でした、結局、人生に実感がある人間がこんな属すカルチャーやコミュニティの上澄みをすくったあるあるを並べただけの人格に憧れるとか言わないだろ、助けて助けて助けて助けて というか今ようやく実感しましたが私が死なない限り私はずっと人生を運用していかなければならないんですね、本当に早く諦めなければね、諦めなければね

↓心情
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(*´▽`*)ニパー

コンプやばすぎて生きてる気にならん。考えることをできるだけやめて生きていたら本当に何も考えられなくなった。これって好転なのかもしれないけど、こんなことならよくならなかったらよかったとさえ思う。私自身についている病名は無いし定期的に通ってる場所といえばアルバイト先の飲食店くらいで、至極まっとうな生き方をしている健常者なんですけど、それが自分を肯定するための役割になっているかというと全くそうではなくて、逆に自分に何もないことを浮き彫りにさせるかのようなこの状態が、元から強い劣等感をさらに強くさせるほかならない。レポートや課題をするために片道一時間以上かけて大学に来たにもかかわらず低気圧にやられて到着いちばんにこんなとりとめない文章を書き始めてしまった。私は何物にもなれないまま何かになろうともせず、ただ自分の現在を娯楽や苦痛でごまかしてごまかしてごまかしてごまかして生きてきたが大学の留年のかかった今ようやくその果てが見えたような気がして死ぬことばかり考えては勇気もなくやめている。私には好きな人たちがたくさんいて、その人たちと話しているだけで私の不安材料や懸念事項がすべて溶けるような感覚に陥ったもので、培った諦念もそんなことですぐ取っ払われてしまう。すべてあきらめて無に還せたらどれほど楽だろうか。ヌルッと胎道を通り落され21年、親の愛情を適度に受け、貧困に喘ぎながらも何不自由はせず生きさせてもらってきたという過去が、かえってこんな出来損ないを養わせているという巨大な罪悪感となって私の背後を憑いてまわっている。今まで私にかかったお金は、私が死んでも帰ってこないけど、これからかかる私のお金も、これから私が返さなければならないお金も、私が死んだらもうかからない。でも、親が出せるギリギリまでお金を費やさせておいて、いざ私がリターンを行う番になったら死んで逃げるのは、さらに迷惑であるような気もしてどこにもいけない。もっと悲劇のヒロインの自覚が強かったらもっと早くに結論が出せたのでしょうか。でも、逃げて逃げてどうにかしてきた人生だったのにここで死に逃げしないのはもはやレギュレーション違反とすら思う。私どうしたらいいと思いますか?お金ください。全部私のせいでこんなに苦しんでいるから誰からも助けなんか来ない。一番私がわかってるのでなんか読むだけ読んだら自殺を応援して下さい。今私が一番助かる方法はこれしかありません。私が楽しそうにしていたら私をたたいてください。生きることに早く絶望しないことには誰も幸せになりませんし誰も報われません。もちろん私もです。みなさんが優しいせいで私はずっとこのまま生きることになる、お願いですからもう何もかかわらないでください、私をもう終わらせてください、お願いします。私は課題をします。ここまで来てまだ生きることを諦められなくてどんどんダサくなるのですが。もうどうしたいのか自分でもわからない。私どうしたらいいと思いますか?

見た夢①

0326
otohatobaに忘れ物取りにいかなきゃいけなくて、夜の21時くらいに神戸行きの電車乗ってて、あまりのダルさに「これ夢ってことにならんか?」ってツイートした


0417
なぜかオモコロの山口さんの誕生日を祝うためにかんちさんに協力してもらってサプライズするんだけど、私の準備がめっちゃ遅れてかんちさんに怒られる


0424
夢の中では白紙の家なんだけど絶対白紙の家じゃないとこにいた チンしたクロワッサン食べてた ギター弾こうとしてて「え、弾くの!?かっこいい!」つったら「ま~~~じで弾けないよ!」と言っていた テレビには渡辺直美が死体役の刑事ドラマが写ってた


0505
ダ・ヴィンチ・恐山がついに仮面をせず顔出しをしたオモコロの記事が上がってて、「仮面無いだけでこんなに違う?とはいえ、仮面がの面影もちゃんとある!」みたいな顔立ちでめっちゃ盛り上がった


0506
朝起きたら3時間寝坊してて、バイトに行ってずっと自責してたらしぶしぶみんなが許してくれた


0514
ホスト行って、そのホストの人にLINE聞かれて教えたら次の日に「もしかして生腐ですか?」「同志さんなかなかいなくて……」といわれて、そうですって答えたら古いデフォルメ絵で掛かれたゆずのほのぼの同人送られてきて、次の日くらいに「もしかして柑橘ですか!?私もちょっとだけ通りました!」って送ったら「店来て貰わないと話せません」って言われて「営業のためにナマモノ使うんちゃうぞ!!!!!」とブチギレした


0520
夢の中の夢の中に白紙が出てきて、(夢中夢はピンチ!みたいなときに白紙がたまたま居て助かるみたいな内容(覚えてない))、asiaの2階のバーカンにいた白紙にそれを伝えたら「私も今日落ち着く人と一緒に居たらいいって言われたけどまえみみは違うんだよな」みたいなこと言われて「なんでーーー!私やろ!!!!!」とデカイ声で答えたら「そういうとこだよ」と笑われた


0521
ピアノ男さんと話していたところ、ピさんが今まで茶碗蒸しを食べたことがないことがわかり、茶碗蒸しの説明をしたら「卵を出汁と解いて……」の時点で「それは旨いわー食べなアカンすわ買うてきますわぁ」と言われる


0602
asiaのメインフロアで、白紙が曲の特徴的なシンセメロディを歌ってたから、私が後ろで鳴ってる別のシンセ?うわもの?を歌ったら「アハハハ!オタクがよ……」と言われた エジ犬やシバノもいた


0608
ダ・ヴィンチ・恐山がバイト先のファミレスにメチャクチャ嫌な客として出てきて、料理と接客態度に対して説教してきた、顔は仮面つけてないけどわかった 途中で遮って「恐山さんですよね…?いつも楽しく拝見してます…」といったら露骨に上機嫌になって最終的に店の程度を試しただけとか言ってきて嫌だった、口調が匿名ラジオと同じだった


0609
①imaiさんがある日突然失踪してTwitterとかもやらなくなるんだけど、あらかじめ決まってた高校の体育館でやるライブに出演して、私が感極まってステージに近づいたら誰かに止められた MCは一切なくて、Twitterで8月にやるライブの告知のみをしていた

②知り合い(誰かはわからない)を殺そうとするヤバい末期がんのジジイとババアに何度も殺されかけ、逃げるためにそこにあった車に乗り込んで走ってたらいつの間にかマリカーになっていた 私が周回して勝ってんのにジジババカーに抜かれた判定になり3位で負けてブチ切れてコントローラー投げて違うコースでやろうとしたらトーマスのログインイベントが始まった いつの間にか私はデイジーを操作していた


0610
ピアキャストで配信してたずっと追っている女配信者(実際にそんな人はいない)がいつの間にかアダルト配信者崩れになっているのを発見した


0611
①私とSNJOさんで、なぜかimaiさんの家でご飯(カレー)を頂く 他にもオカタオカさんがいた なんかseaketa先生が家政婦として働いていた(友達の家に泊まるついでに来たらしい) imaiさんが急用で下北沢に行っちゃって解散になり、することなくなったからそのまま京都帰って二人で龍門に行った、帰りに「先生置いて京都帰ってきてもうた、どうしよ…」「いやでも◯◯さん家泊まってるんやったら今一緒に帰ろ言うても帰れへんくない?大丈夫やろ」という会話をした、結局先生に秘密で京都帰ったな

②よくわからないスピリチュアル夫婦の「セックスの前に食べるパン」を実際につくって食べるルポを読む 切ったら楕円になるくらいに太いパンで、保存が効くタイプの硬いやつだった、具材が20個くらい入ってて、ナッツやよくわからないスパイス、2人の衣類から抽出した体液などがあった、掟ポルシェが書いてた


0612
死ぬまでのカウントダウンが目に見えてて、今が4日前だった 「東京から帰る日が近づいてるみたいな辛さだけど、死ぬんだから全部終わるんだよな~~~」という気持ちだった、福地や荻原と遊んだときに、「もう会わないからね~」っていいながら色々物あげた 荻原が微妙な顔して「そんな……」って言ってた あと生理なのに銭湯入っちゃって出るに出れなかった

カスの消費者でしかない劣等感ヤバすぎてワロタがジャニーズのうちわを購入したことにより自信が付きやや解脱できてハッピー日記

自粛期間でバイト先の飲食店も驚異の閑散期に入り(最近は忙しかったりもしますが…)、就活生でありながら就活を一切せず、家に閉じこもっては飯を食ってツイッターして寝てツイッターして飯を食って寝る毎日が続いています。学生の殆どの方は私と同じような生活を送っているのではないでしょうか。そんな日々を一か月以上過ごす中で、最近はもっぱらアイドルの尊さを実感しています。アイドルといっても、生業としてアイドルをされている方々ではなく、私の中のアイドルという意味です。皆さんのなかにもアイドルがいると思います。私の中のアイドルは大好きなミュージシャンを始め、俳優、実況者(西郷さん戻ってきて(泣き泣き))と三次元中心に多岐に渡り、もともとのオタクとしての目覚めが6歳のときに好きになったKAT-TUN上田竜也(まだ黒髪で妖精が見えていて、少年倶楽部でテロテロの服着てquestionsの皆さんを従え裸足でロックテイストのソロ曲を歌っていた時期)さんだったこともあり、ジャニーズにも回帰し、最近はなにわ男子の大橋和也さんに夢中です。明るくて元気で想われることが趣味であるアイドルって強えー!すごい!そんな経緯があり、昨夜、ジャニーズオンラインショップで大橋和也さんのうちわを買ったところ、いきなり自主性と自信が沸いてきて久々に筆を執った次第です。ピース!

 

無意識的に周りの風潮に思想が左右されやすく、私は私自身に生産性がないことにずっと劣等感を持っており、知りあいが「所詮オタクの自慰ですから」みたいな卑下をしながらバンバン良いものを生み出している姿を見ては、「なんでそんなこと言うの~涙(は?オナニーで人を感動させれるなら十分偉大だろ、じゃあ私の無能さはなんなんですか???うんち製造機で~~~~~~す、生きる意味なし!自殺しちゃお(笑))」と勝手に磨り減って卑屈になっていた。ディグは正義で、良いものを知っていることがすごくて、生産することは偉いこと、音楽や芸術の前に人は平等なんてことは生産者側の欺瞞としか思わなかったし、今も正直思ってる。元来、自我が確立する以前から属している、趣味で繋がってきたそれぞれのコミュニティが同人活動ととても近かったこともあって、暗黙の了解として同人をする人が偉く、そうでない人はカスという思想が根付いている(腐女子って基本そんな感じしませんか?私だけかな)こともあるが、どうしても私は生産者>消費者の不等号が脳にこびりついて離れず、所詮私なぞ、すごい人たちが生み出したすごい創作物に群がる賎しい文化的ハイエナでしかない!とずっと感じている。たとえ私と生産側の人間の関係が創作物を介していないただの友人関係だったとしても、その劣等感に負けては一人で悶々とすることが多かった。


もちろんこれは私の偏った考え方が10000000%、いや10000000000000000000000000000000000000%悪いわけであって、私に気を使えとか、創作をやめろとか、そういうわけでは一切ない。本当に!というか、私の大好きなアイドルの皆さんは生産者側なわけで、生産者が嫌いなわけでは決してないです、絶対的に私のこのよくわからない考えが悪いです、私が私の首を絞めている他ならないわけです 。(それを今ブログという形で発信してしまってる以上、そういう保険は言い訳にしか聞こえないかもしれませんね…すみません)インターネットが普及して同じ趣味の人間と繋がるなかで、何故か圧倒的少数派としての「消費者」になった稀有なケースで、かつそこで劣等感に苛まれるという稀有稀有、さらに稀有なケースということをご理解ください。ただ、その考え方をしっかり言語化できたことによって、もうそれはそれでいいかな、と思えるようになった。興味ある人の話にしか耳を傾けたくないし、興味あるものしか追いたくない。探求したり捜索したりという行為は確かに素晴らしいけど、私がそれを「それが尊いポーズとされているから」という理由でやる以上はやらなくていいと。ハイエナならハイエナとして開き直ったほうがいいと気付いたら、一気に楽になった。自分の興味のあるものにしか興味がないというスタンスにずっと負い目を感じていたんだなー。知らなくて損することは沢山あるけど、強制されて知るくらいでちょうどいい。キャパシティを理解せずに行動してた私が悪かった。「かもしれない」で誤魔化さずに輪郭のはっきりした今の自分の考えを具現化できたのって、これ絶対大橋和也さんのうちわを買って自信が生まれたからなんですけど…。


私は昔から何か始めても継続が出来なくて、ギターも高校から弾いてはいるものの未だBすら鳴らせず、ブログも三日も続かず、通院をしてもブチ切って、高校も途中で辞め、続いていることと言えばツイッターと現場参加とアルバイトくらいしかない。そんな私が探求・捜索・推敲が必要とされる創作行為を成すことが、出来ますかってできねーか.はは.(虐殺行為はNO) なので今は開き直って好きな作曲家の曲しか聞かず、ジャニーズを追い、おいでよどうぶつの森をいきなりやりだして二日で飽きたりしてまーす!あとお酒も飲んでるし煙草も吸ってまーす!イエー!ピース!

 

何かに対する不満の表れだとか、攻撃とかに思われたら本当に嫌なのでもう一度保険かけさせていただきますが、悪いのは私だけです!すみません!

スマホのパスワードにしてるので皆様にもすぐ開けていただくことが出来ます

二週間ぶりに大学に行った。慢性的に体調不良で、何かが治ったと思ったらまたどこかが悪くなり、治ったと思ったらまたどこかが悪くなりの繰り返しで、週に3回のバイト以外で外に出ない日々。帰り道、家に続く団地のエレベーターを降りてふと顔を上げると、目の前の道路に小さな車の光が点々と続いていて、遠くのほうでは下町の都会の明かりがゆらゆらと揺らめいていた。うおー、人の生活がたくさんある…。人の生活がミニチュアみたいになっている…。

私が生まれ育った場所は日本片隅のニュータウン。私の住む団地の目の前にも団地、横を見ても団地、後ろを見ても団地と、とにかく団地が多い。長方形の高い建物の中に四角い部屋が規則的に並び、それぞれが全く交わることなく、独立した生活がその長方形の中で繰り広げられている。長方形の箱の中に、たくさんの人。たくさんの人がいるということは、それと同じ分だけ生活があり、歴史があり、人格がある。でも、毎日苦しんだり喜んだりと生きている私も、彼らも、あの遠くに見える橋から見たら、ただ団地に住む人でそれ以上も以下もなく…そこにひとつひとつの住人のパーソナリティや背景が加味されるわけでもなく…ただのワンオブゼム…木ではなく森…箱の内の一つ…一体…私は…彼らは…一体…何者…!!!????何!!!!!!?????

 

なんかまどろっこしく書いてしまいましたが、車窓から見る住宅地の家の一つ一つに、町で見かけるアパートに、テレビドラマに映り込んだマンションの一室一室に、複数の、或いは単体の生活があり、歴史があり、人格があり、平気な顔して佇んでいるの、やばすぎる気持ちになるンゴねぇ・・・という話です。え?当たり前体操なんだが・・・・・・・(笑)人がいっぱい生きているからいっぱいの生活があるね←当たり前体操 でもだからこそ、ニュータウンや団地にルーツがあるアーティストの方の音楽が、「やばすぎる気持ち」の解釈のひとつとして、特段沁みたりしてしまうのかもしれない。それはうれしいことですね。

 

 

話は変わりますが、11月8日は私の大好きなバンド、THE BAWDIESのドラマー・MARCYさんのお誕生日です。おめでとうございます!!!!そして11月9日は私の高校受験の唯一のモチベーションとしてご活躍されたことでおなじみ、加瀬亮さんのお誕生日です、おめでとうございます!!!!!!BAWDIESのメンバーのお誕生日をお祝いしてから丸4年、加瀬亮さんのお誕生日をお祝いしてから丸6年経つの普通にオタクキモすぎてウケますが、本当に私はずっと、私なりのアイドルを追いかけないと生きていけないんですね、オタクだから。私“なりの”アイドルっていうのは、職業・アイドルではなく、自分のなかでキラキラしていて、見ると元気が出て、生きてけるゾ!と強く拳を握り明日への扉を開くことのできる人々全般を言っています。「(職業が)アイドルじゃない人に推しとか言うべきじゃない」みたいな発言に真っ向から私は立ち向かいたいけど、私なりのアイドル論を話し出すと最終的に「キレ」に繋がってしまうので割愛します。とにかく、何か信じれるものがあると、より、こう、生活がよくなるじゃないですか、なるんですよ。なるんですね。

最近は目の前のちいさなことであたふたすることが増えました。嫌いな人間のインスタストーリーを別垢で監視してはスクショしたり、Twitterで見かけた考え方が違う人間のバズりを見て苛立ったり、大学の喫煙所にザ・大学生がたくさん居て怖くなって煙草吸えなかったり、「ブスが振り返ったぞ!」と思われてないか不安で背後に人がいる状態で振り向けずわざわざ迂回して出口に行ったり、狭い狭い狭い狭い狭い狭い世界とキッツーい自意識で生きています。そんな中、ふと、自分なりのアイドルは本当に大事だなと原点に立ち返ったんです。BAWDIES、11月27日に新譜が出ます。そのティザー映像が公開され、視聴したとき、思わず本当の「ギャー!!!!(love涙)」が出ました。久々に好きすぎて突発的に「叫び」をした。その瞬間、私は前述のような目の前のちいさなつらさに一切の思考を割いていないことに気づきました。目の前の好きに夢中で逆につらさを考える余裕がなく、最もポジティブな状態に持っていけていたんです。今なら大きい声出せるし、町もある程度自信のある顔つきで歩ける、ありがとう。今、私は宗教の話をしています。思えばそれをずっとずっと繰り返している、好きなもので息継ぎをするようなことを。好きなアーティストのライブを見たり、好きな友達に会ったりするときだけ息が吸え、あとは我慢のみ。燃費は悪いですが、好きなものがある限り半永久的に回る気もします。というか、話は変わりますが、私がBAWDIESを追えていなかった時期もBAWDIESBAWDIESで居続けてくれていてすごい!!!!!!!!!!!当たり前なんだけど、そういったことがずっと美しくてしょうがないね。そういう美学みたいなものと結婚出来たりしないのか?結婚して~~~~

 

なんのブログ?これ

(/_;)/~~

お風呂上りに見た自分の指先の皮膚がとても汚くて、でもそれはただの私の爪と指を噛むくせで出来た凹凸のそれ以上でもそれ以下でもなく、そこに詩的な叙情が生まれていたら、もうすこしかっこいいメンヘラ枠の女として生きれていたのかな?と思った。自分のことを「女」としょっぱなから形容しておいてなんだが、女という性別に振り回されることがかなり多い。というか、小さいときは傷つくことに鈍感でいたせいか、性別で差別されたり、優遇されたりといったことに疎かっただけで、女が足かせになっていることを意識的に捉えだすようになったのがただ最近だっただけの話なのだが。「女」だから「男」と対等に友達でいられなかったり、「女」だから見た目が地味なだけで篩にかけられて落とされたり。このような話をするときりがないが、20歳、もうはっきりと大人と言われる年齢にもなると、引きこもりで出不精なオタクにも平等に女という性別や性別ナイズド・ルッキズム(シンクロナイズド・スイミングみたいですね)に支配された社会的な尺度という苦しさは降りそそぐものなのだなと妙に納得してしまう。


直接的な関係はないが、或る年上の人間に「お前、中学から◯◯(特定の行動)出来て偉いって言われたいんやろ!!!」と言われたことがある。言われたときは唖然とした。というか、状況、年の差、意地の悪さ、いろいろな気持ちが混ざり合って困惑した、本質を突いたつもりの卑屈野郎がいきなり現れちゃったよ、と。ただ、この言葉、考えれば考えるほど、自分に向けられるべき言葉だったんだなと思えてきた。言われることが運命だったのかと思うほどに。



そもそも私も、本質を突いたつもりでいる卑屈野郎である。そして、そのフォーマットに則った言葉をよく考える。「お前、小さいころから〇〇を聞いてたぁ?洒落てますなぁ(笑)」だの「本棚の前で自撮りすんなや、素直に顔より本見せろ(笑)」だの、パッと考えるだけで同じような罵倒がスッと思い浮かぶ。本当に誰に対してということがないのが一番怖く、仮想敵に対する攻撃にしか過ぎない。これが私なりのハッとしてグッなら最悪だと思う。あの事件の話を信頼できる友人に話したら、そこのパートを話し終えたあと、真っ先に「えっそれ、まえみみがめっちゃいいそうやのに!その人がまえみみやっても、目前では言わんにしろ、Twitterでは言うてたで」と言われた。

信頼できる友人がそういうなら、もうじゃあ、本当にそうだってことだ。今まで心のなかでやってきた攻撃のカウンターが時を経て返ってきた。しかも、私自身、話をしているときに、間接的な自慢がしたいなんてことは1ミリたりとも考えておらず、本質を突いた気になっている卑劣野郎こと私が心のなかでやってきた攻撃は、場合によってはただただ虚に武器を一心不乱振りまくることでしかなかったのだ。ああ、恥ずかしい。ああああ、申し訳ない。すみませんでした。屈折して拗らせてしまっているにも関わらず世界が狭いから、自分だったらこういう意図で行います、が普遍化した基準として存在すると勘違いしていた。「それをそんな回りくどく表現しなくても(笑)」という冷笑の槍を他人に向けていたつもりだったが、そんな人間の取る槍はすぐ逆くの字に形を変え、私の脳天に矛先を向ける武器となる。それゆえに、「これをしてしまうと、真意はこれなのに、人に違った捉え方をされ、ヒンシュクを買うんじゃないか」と言いたいこともやりたいことも出来なくなってしまった。そうなるともはや、持ち前の卑屈さと低すぎてマントルにまで達している自己肯定感によって、妬み・ひがみ・嫉み・恨み・劣等感の鈍色の五つ星が、私の空にぎらぎらと輝き続けるはめになる。私がこんな観念的であるのは、私が私の中に育てた“主観的な客観”に虐められ、ゆがんでいってしまっていただけだったのか。ヒィ~^^^^^^^^~~~~~^~~~~^~~~~^^^ン


ぴえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん


学んでしまった!!!!!悔しい。あんなひどいことを言われたのに、学びにつなげてしまった。自分を生かすための道の舗装材料になっちゃったよ。まいった~~~~~~(涙)

それは私が賢いからであり、これはその賢さを見せびらかすためのブログです♫

(私の中に根付いた“主観的な客観”を黙らすためには開き直りが重要!との答えからこのオチをつけました、実際には賢くないかもしれませんが、リハビリを頑張っています、見逃していただけると幸いです)


PS.別の友人にこれを話したら、「これを貴方が嫌いな人が書いてたら、貴方はこれすらも『自己分析をユーモアに交えて話せてすごいでちゅね~(笑)』って馬鹿にすると思うよ」と言われました、正解やめて!!!!!!!(涙)


ブログ

講義をさぼって日記を書いている。毎年何かしらの、心を揺さぶるような出来事が秋には起こるもので、それは元号が変わったとて同じものだったらしい。8月末、歩くのも困難なほどの全身の関節痛と発熱(実際に熱は測っていないが、体感で37℃~38℃ほどあったように思える)を何とか市販薬と栄養剤で抑え込み、遠征に外出にライブに青春18きっぷでの往復に、と体力の限りはしゃいでいたら、そこから2週間近くで体重が4kg落ちるといううれしいハプニングがあった。思えばそれがきっかけとなって、さまざまなことが起こったように思うが、人の目に触れる日記なので、ここには記さない。

連絡どころか、動向すらわからなくなってしまった友人のことをふと思い出した。絵を描くことに夢中な人だった。(すぐストーキングまがいの行動をしてしまうのは私の悪い癖であるが)思い立って少し調べてみると、アニメーションを制作し、さまざまなプロジェクトにも参加しているようだった。絵を描くことが大好きで、それに葛藤し、時には陶酔し、それを歓びにして生きる彼女のことを、まだ私はうらやましく思っていたことに気付いた。

私には趣味がない。もちろん、音楽を聴くことや、人と話すこと、クラブイベントやライブイベントに出かけたり、おいしいご飯を食べたり、好きなことはたくさんあるが、これといった趣味がない。これに夢中になれば安心が出来るという絶対がない。だからこそ、安心をただ”楽しい”や”うれしい”といった情動に求めてしまい、それが切れると落ち込むのだ。好きなことを酸素補給のようにパイプを通して摂取し続けないと自分の空虚さや、それ故に将来の展望が全く見えないことを直視してしまいすぐに押しつぶされてしまう。私は常に安心がしたい人間で、そのために生活を放ってまでも奔走することが多々ある。音楽や絵、デザイン、執筆…と何かしらの創造を行う人と交流をすることが多いなか、昔から私は受け身としてのある種のあきらめを抱えているように思う。社会的抑圧と責任を負い、与えられた役割を未熟とは言え果たそうと日々奮闘するなかで生まれるフラストレーションを、私は誰かの創作を全身で享受することでなんとか発散して生きてきた。一番の問題点は、私がその自転車操業のような毎日から抜け出そうと努力をしていないということだ。日々の悲しさというものは当人が努力しない限り本質的な解決には程遠いことは理解しているが、私はそのあきらめに甘え、死ぬまで先延ばしにするのだろうと思った。